ギゼゲムはブルゴーニュ宮廷に音楽家として仕えただけでなく、
士官としても雇われていた。このことは、シャルルによる
リエージュ攻撃に先んじて、ギゼゲムのために武具を購入したとの記録によって裏付けられる。シャルルは、音楽と戦争を等しく愛し、娯楽にこだわったために、戦地に音楽家を同行させた。しかしながら、有名な音楽家で戦士としてシャルル公に従ったのは、ギゼゲムぐらいのものであった。ギゼゲムは
1472年にボーヴェー攻略に加わったが、シャルルはフランス軍によってはっきり撃退された。ギゼゲムは、このとき
戦死したものと長らく見なされてきたが、近年の現存作品の研究によって、1472年以降も創作活動を続けていたらしく、1472年かそれ以前に様式的発展が見られることが浮き彫りにされてきた。現代の研究者は、ギゼゲムが戦争を生き延び、フランス宮廷に活動の場を求めたと主張している。当時
ブルゴーニュの音楽家は、高い評価を得ていたため、ギゼゲムほど高名な歌手・作曲家であれば、
フランス王国のかつての敵であったとしても、たやすく赦されたに違いない。
ギゼゲムはもっぱらシャンソンの作曲家として名高く、そのほとんどが
ロンドーである。とりわけ、《去るがよい、悲しみよ
Allez regrets》と《僕の彼女はいいところばかり
De tous biens plaine》の2曲は、
15世紀後半のヨーロッパにおいてきわめて有名になり、印刷技術が発明されるまでに25の異なる史料に筆写されただけでなく、後進作曲家によって
定旋律に援用された。ほとんどの作品が4声体で作曲されており、ブルゴーニュ楽派に典型的な、単純明快な
テクスチュアを採り、主旋律は最上声部に置かれている。