オスナには3000年ほど前から人が定住しており、後にウルソ(Urso)と呼ばれるようになった。紀元前44年から43年、
マルクス・アントニウスはウルソにローマ植民都市の地位と、ゲネティウァ・ユリア(Genetiva Iulia)の正式名を与えた(一部の碑文に記載されている)。不完全ではあったが、植民都市の基本法を持っていた。
大プリニウスは、植民都市をゲネティウァ・ウルバノルム・ウルソ(Genetiva Urbanorum Urso、NH, III.12)と書き残している。
イスラム支配時代、町はオソナ(Oxona)と呼ばれた。1239年、
カスティーリャ王
フェルナンド3世によって征服された。1264年、オスナは
カラトラバ騎士団に与えられ、オスナのエンコミエンダ(委託地)となった。オスナは
グラナダ王国に近いために、カスティーリャ=グラナダの軍事要衝地となった。15世紀、カラトラバの騎士たちはオスナをペドロ・テリェス・デ・ヒロンに与えた。ヒロンの子孫は、
フェリペ2世によってオスナ公位を授けられた。