オールスター家族対抗歌合戦 wikipedia|無料辞書
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司会萩本欽一(1972.10.1〜1984.6.24)
小川宏(1984.7.1〜1986.9.28)
アシスタント 審査員
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|特記事項 =
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◆番組概要
1972年10月に放送開始。毎週、
著名人の
家族が数組出場して歌を披露する。優勝すると天井から大量の
紙吹雪と
風船が降り、
KLMオランダ航空で行く
海外旅行(通常はバンコク旅行で、グランドチャンピオン大会はヨーロッパ旅行)が獲得出来た。なお、この旅行には
東急観光(現・トップツアー)が仲介していたとも言われている。
ヒデとロザンナ一家や、当時フジテレビの局アナだった
逸見政孝一家なども出場していた。
司会は放送開始から1984年6月までは
萩本欽一が担当し、家族が茶の間で一つのテレビを囲む時間帯の一つである日曜夜8時枠で『
NHK大河ドラマ』と
視聴率を争う人気番組の一つとなった。
放送の原点は1972年頃の『
火曜ワイドスペシャル』の特番で、それが好評かつ高視聴率だったことがレギュラー番組となったという。
出場家族は毎回5組で、2組が決勝進出し優勝を争う仕組みだが、優勝・準優勝のほかに「ハッスル賞」「ユーモア賞」「アットホーム賞」があり、結果として出場全チームが何かの賞をもらうことができた。末期には決勝に進出したチームの両方が優勝することも多くなった。
取り上げられる歌は、当時の代表的な歌謡曲のほか、子供向けの歌(子連れの場合)、懐メロなども多かった。なお、フジテレビ以外の番組のテーマ曲や、懐メロを子供も含む家族みんなで歌うなど、後年では考えられないような選曲もあった。一方でフジテレビの番組らしく「飛び出せヤクルトスワローズ」が歌われることもあった。この曲を
ヤクルトファン・関東以外で耳にするのは非常に稀と思われる。
また、オープニングに流れる「
ドレミの歌」の替え歌(タイトルコール後、最初に
ダン池田が
ティンパニで「ドレミファソラシドレ」の音色に続き演奏開始)に乗って出演者が登場するのも慣例行事で、引き続いて出演者にドレミファソラシドを言わせながらスポンサークレジットとなっていた(初期には萩本ら司会陣が「ドレミファソラシ、ド〜」と締めくくっていた)。エンディングは番組独自の曲(不定期に変更。視聴者への
楽譜の配布もあった)で、始めは出演者全員で歌っているものの途中から
オランダの
チューリップなど
オランダの各所の映像となり、最後に海外旅行協力元のKLMオランダ航空のものになっていた。
なお、そのアットホームさゆえに、放送時間帯の連続する『
世界名作劇場』
視聴者にも好まれた。放送時間帯の選定は、1972年当時、同時間帯の他局にファミリー層向け(特に低年齢の子供を含む)がなかったため、この時間帯となったとも思われる。
◇スタジオの配置
基本的にはブルーバックにY字型の
電飾があり、それと同じ位置に
オーケストラピットが位置していた。また、審査員席は客席の最前列に位置していた。
さらに、番組初期はステージ奥上方(ホリゾント)部に天井から吊り下げた「オールスター家族対抗歌合戦」の
看板(番組の提供スポンサーも併記)があった。
◆出演者
◇歴代司会
・初代:
萩本欽一(1972.10.1〜1984.6.24)
・2代目:
小川宏(1984.7.1〜1986.9.28)
◇歴代アシスタント
・萩本欽一時代
・小川宏時代
◇審査員
などが務めた。
※本欄に記載されている審査員を務めた者のうち、水の江滝子以外は現在故人となっている。
◆ネット局
地域によって放送日時の異なる局もあった。