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「ソマリア」||葬儀-master.com [05/25update]

ソマリア wikipedia|無料辞書

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| 国旗画像 =Flag of Somalia.svg
| 国章画像 =
| 国章リンク =(国章)
| 標語 =なし
| 位置画像 =LocationSomalia.svg
| 公用語 =ソマリ語¹
| 首都 =モガディシュ¹
| 最大都市 =モガディシュ
| 元首等肩書 =大統領
| 元首等氏名 =シェイフ・シャリーフ・シェイフ・アフマド
| 首相等肩書 =首相
| 首相等氏名 =オマル・アブディラシッド・アリー・シェルマルケ
| 面積順位 =41
| 面積大きさ =1 E11
| 面積値 =637,657
| 水面積率 =1.6%
| 人口統計年 =2008
| 人口順位 =87
| 人口大きさ =1 E6
| 人口値 =9,133,000
| 人口密度値 =13
| GDP統計年MER =2008
| GDP順位MER =19
| GDP値MER =26億CIA World Factbook 2009年4月27日閲覧([外部リンク]https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/so.html)
| GDP統計年 =2008
| GDP順位 =
| GDP値 =55億
| GDP/人 =600
| 建国形態 =独立
 - 宣言
 - 承認
| 建国年月日 =イギリスイタリアより
1960年7月1日²
| 通貨 =ソマリア・シリング
| 通貨コード =SOS
| 時間帯 =+3
| 夏時間 =なし
| 国歌名 =ソマリアの国歌
| ccTLD =SO
| 国際電話番号 =252
| 注記 =データには原則としてソマリランドを含む。
注1 : 現在公式に認められた政府および憲法が存在しないため、公用語および首都はバーレ政権以前からもの。
注2 : ソマリア北部は、1960年6月26日にイギリスから独立し、ソマリア南部は、1960年7月1日にイタリアから独立し、同時に両者は合併してソマリア共和国となった。|
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ソマリア (Somalia) は、東アフリカアフリカの角と呼ばれる地域を領域とする国家ジブチエチオピアケニアと国境を接し、インド洋アデン湾に面する。1991年勃発の内戦により国土は分断され、事実上の無政府状態が続き、エチオピアの軍事支援を受けた暫定政権が首都を制圧したものの、依然として内戦状態が続いている。

◆ 国名
正式名称はソマリ語で「」。アラビア語で「」(アッ=スーマール)。公式の英語表記は「」。日本語の表記は「ソマリア」。
ソマリアの公式国名を「ソマリア民主共和国()」とする場合が多いが、これはモハメド・シアド・バーレ政権下で「ソマリア民主共和国憲法」が有効であった時期の国名。1991年に同政権が崩壊し憲法が廃止されて以降、国際的に認められた政府が出てきていないため、ソマリアに公式国名は存在しない。なお、現在の暫定政府は「ソマリア共和国()」を国名としているが、全土を実効支配しておらず、また正統政府ではないため、公式国名とは見なされていない。
1960年 - 1969年、ソマリア共和国
・ 1969年 - 1991年、ソマリア民主共和国
・ 1991年 - 、ソマリア(公式国名無し)

◆ 歴史
1886年イギリスが北部をイギリス領ソマリランドとして領有。
1908年までにイタリアが南部をイタリア領ソマリランドとして領有。第二次世界大戦中、一時はイタリアが全土を占領したが、その後イギリスの施政下に。
1948年に北部がイギリスの保護領に。
1950年には南部がイタリアの信託統治領に。
1960年6月26日、イギリス領がソマリランド国として独立。5日後の7月1日にはイタリア領も独立し、南北統合でソマリア共和国が発足。
1969年10月、クーデターモハメド・シアド・バーレ少将が実権を握り、国名をソマリア民主共和国に変更。
1970年10月には社会主義国家を宣言、ソマリ社会主義革命党の一党独裁体制に。
1977年エチオピアのソマリ族によるオガデン州分離独立運動に端を発してエチオピアとの間でオガデン戦争勃発。(1988年の両国の停戦合意まで続く。)
1980年1月、人民議会はバーレを大統領に選出。
1991年5月、ソマリ国民運動(SNM)が北部の旧ソマリランド国地域(=旧イギリス領ソマリランド)の分離・再独立を宣言し、新生ソマリランド共和国が発足。
1998年7月にソマリア北東部の氏族が自治宣言をし、ガローウェを首都とする自治政府・プントランド共和国を樹立。