カルタゴ(現
チュニジア)に生まれる。その生涯についてはほとんど知られていない。
197年にはすでに
洗礼を受けていたことがわかっている。彼は
法学と
修辞学を学び、その知識をキリスト教擁護に活かした。厳格なキリスト教徒として生きようとした彼は最終的に、
異端とされた
モンタノス派に加わり、正当信仰から離れることになった。後にモンタノス派の中でも衝突を起こし、自らのグループ(テルトゥリアヌス派)を形成したようである。
テルトゥリアヌスは
キリスト論、
三位一体論を系統的に論じた最初の人物であり、『護教論』など31編の著作が現存する。豊かな法律知識を持っていた彼はキリスト教思想と
哲学の関係について初めて考察している。彼にとってキリスト教信仰は普通の理性で解釈すべきでないものだったため、信仰の哲学的な解釈を拒絶した。彼の思想はよく「不合理ゆえに信ずる」(Credo quia absurdim)という言葉で表現される。