その名はローマ帝国の
銀貨に由来する。ディナリウスは”お金”を意味する
スペイン語のディネーロや
ポルトガル語のディニェイロも同じ由来である。それが金貨を指し示すようになったのはこのディナリウス銀貨が
ノミスマ金貨の継承硬貨だったためである。693年、
ウマイヤ朝の
カリフである
アブドゥルマリクが
ダマスカスでイスラーム世界初の金貨を打刻させた。これがディナールの起源である。イスラーム世界の硬貨はこの時以来近代になって初めて鋳造硬貨が製造されるまで打刻硬貨だった。当初はディンナールと呼ばれ、主に旧
ビザンツ帝国領で流通した。(それまでは、ビザンツ帝国が鋳造した
ノミスマ金貨が流通していた。)8世紀半ばに成立した
アッバース朝の時代になると
ディルハム銀貨による
銀経済であった旧
サーサーン朝ペルシア領でもディナールが流通するようになり、9世紀には金銀二本位制へと移行した。
金の産出地としては、
サハラ砂漠の南の
ガーナ王国や、
エジプトの南のヌビア(現在の
スーダン)などが挙げられる。ガーナ王国の金を、ムスリム商人が岩塩と交換する
サハラ交易が行われていた。またディナールとディルハムの法定換算比率は1ディナール=20ディルハムであったが時代や地域とともに変化していきアッバース朝5代の
ハールーン=アッラシード時代には1ディナール:22ディルハム、時代により1ディナール=30ディルハムの比率も発生した。
エジプトの
トゥールーン朝でのディナール金貨の純度の高さは有名である。しかし10世紀の中頃から金の供給が減少すると12〜13世紀にはシリア以東ではディナール金貨は打刻されなくなり予算や大きな金額はディルハム銀貨で計算されるようになった。ただ西スーダンの金が供給されていた
ファーティマ朝や
ムラービト朝、
アイユーブ朝・
マムルーク朝では依然15世紀初頭まで高品質のディナール金貨を打刻し地中海交易の中心的役割を担ったが次第にイタリア諸都市の金貨(デュカーティやフィオリーニなど)におされディナール金貨は減退した。1425年にはデュカーティに対抗するためマムルーク朝スルタン・アシュラフ・バルスバーイが新ディナール(アシュラフィー)を打刻したが経済的な盛り返しはできなかった。金貨の敗退によりイスラームの勢力的な敗退も始まる。オスマン帝国時代も決済通貨はやはりイタリアの貨幣であった。