1524年、西南ドイツに波及した農民一揆に呼応して、ミュンツァーは支持者たちに民衆を圧迫する暴力を倒壊しつつある、世界の変化が近づいていると告げた。
チューリンゲン地方のミュールハウゼン市に行き、その地の民主主義者ハインリッヒ・プファイツァーと結んで秘密結社をつくり、新政府の樹立をはかったが、ルターの書簡が市におくられて彼ら二人は説教を禁じられた。ルターにたいする公開討論を望んで
ニュルンベルクへ赴き、その後ドイツとスイスの国境で
ドイツ農民戦争の最初の兆しを目撃した。南ドイツに滞在して旧約聖書に基づいた農業改革について説教し、反乱はもはや猶予されるべきでないとの信念を固めた。チューリンゲンとマンスフェルドで革命を組織するためにミュールハウゼンに戻るが、ザクセン・
ブラウンシュヴァイク・
ヘッセン諸侯の連合軍に敗れ、捕らわれて斬首された(
エンゲルス『ドイツ農民戦争』では、戦死したと書かれている)。
ミュンツァーは宗教改革の最左翼、ルターの穏健派に対し過激派を代表した神学者である。聖書研究にとどまらず、聖書の言葉を階級闘争に翻訳し、農民大衆を理想社会建設へ導こうとした。彼は体躯矮小にして、顔は浅黒く、髪は黒く、眼は炎のごとく、弁舌は粗野で民衆的かつ熱烈、内的衝動にしたがって行動し、組織の人というよりは独立不羈・傍若無人の人柄といわれる。