パロディ・ミサはルネッサンス時代にはとても人気のある様式であった。ジョヴァンニ・ダ・パレストリーナ一人だけでも50以上の曲を作曲しており、16世紀前半にはパロディ・ミサが主流のスタイルとなった。トリエント公会議でパロディ・ミサ、ならびに世俗の素材をミサに転用することが禁じられたが、実際にはあまり効果を発揮しなかった。作曲家たちは、単にミサの題名に世俗の歌の名前を入れることをやめただけで、モテットやシャンソンからの借用を続けたからである。そして彼らは代りにしばしばミサを「名前のないミサ」(Missa sine nomine)と名付け、聴衆になんの歌が使われているかを当てる楽しみを与えたと言うわけである。