この対立そのものはフォティオスの存命中に終結した。イグナティオスはいったん政治的に勝利を収め、フォティオスは破門の上、追放刑に処された。しかしのちに名誉回復しコンスタンディヌーポリ総主教に復帰した。東西教会の分裂も一応は調停されたが、この対立の間に召集された
第4コンスタンティノポリス公会議の正当性をめぐる意見の相違など、両教会の間には亀裂が残った。「フィリオクエ」をめぐってはその後も東西教会で見解が一致せず、結局
1054年の大分裂を生んだ。現在でも正教会では「聖神゜(せいしん…聖霊のこと、
日本正教会による訳語)は父からのみ発出し、子を通して派遣される」としている。