1914年に勃発した
第一次世界大戦では、陸軍中尉として召集を受け
東部戦線に出征するが重傷を負い、後送されて間もなく名誉の除隊。除隊後はニューヨークの自宅に戻り、療養しながら演奏活動を再開する。しかし、アメリカにとってオーストリアは敵国だったため、活動はあまり軌道に乗らなかった。大戦終結後はヨーロッパ楽壇に復帰。
1923年には来日を果たしている。
1924年から
1934年まで
ベルリンに拠点を置いていたが、
ヒトラーによって
ナチが政権を獲得すると状況は一変する。クライスラーは最初、大衆的人気に目を付けられ、同じユダヤ系の指揮者
レオ・ブレッヒ(彼と録音した
ベートーヴェンの
ヴァイオリン協奏曲は、クライスラーの名盤の一つに数えられる)ともどもドイツへの残留を要請されるが、断固拒絶。
1938年、オーストリアが
ドイツに併合されたのを機にフランス国籍を取得し、
パリに移住した。
1939年、ヨーロッパに
第二次世界大戦の足音がしのびよると、アメリカ永住を決意してニューヨークに移り、
1943年にはアメリカ国籍を取得。以後の生涯では一度もヨーロッパに戻ることはなかった。アメリカ国籍取得の2年前には交通事故で重傷を負い、一時は「再起不能」とも伝えられたが奇跡的にカムバック。放送への出演やリサイタルを断続的に行うも、負傷の後遺症(視力障害や突発的な記憶喪失など。音楽的な感覚は奇跡的に障害から逃れた)が尾を引いたこともあり、
1950年に引退。
1962年、ニューヨークで交通事故にあい、「20世紀最高のヴァイオリニスト」と称され惜しまれながら死去した。