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「ミイラ」||葬儀-master.com [05/26update]

ミイラ wikipedia|無料辞書

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プトレマイオス朝時代のエジプトのミイラ。紀元前300年から200年のもの(ルーブル美術館所蔵)
ミイラ(Mummy木乃伊)とは、人為的加工ないし自然条件によって乾燥され、長期間原型を失わないで保全可能な状態となった死体(永久死体)の一形態。古くより神秘的な力があると考えられ、死者を後世まで残すなどの目的で古代から行われた。数百年・数千年を経過したものでも生前の面影を漂わせるものも数知れないタンパク質が水分を失うことにより不可逆的変質をしているので、水分を戻すことにより生命活動を復活させることは、現代の科学では不可能である。
なお、同様に長期間保全される状態となった死体には死蝋(しろう)がある。これは乾燥によって生成されるミイラの逆で、湿潤環境によって生成される。

◆ 生成
死後、身体の腐敗が進行するよりも早く急激な乾燥(人体組織の50%以下)が起きると、細菌の活動が弱まる。脱水症状などの条件から死体の水分含有量が少ない場合にはミイラ化しやすい。自然発生ミイラが砂漠の中からみつかることが多いが、これは急速な乾燥をもたらす自然条件のほかに、そこにできる死体が脱水症状を起こして餓死するなどで死亡したものであるため、死亡時の水分量がもとより少ないという条件が整っているからと考えられる。自然条件においては、成人一人がミイラ化するのに必要な期間は3か月と言われている。こういった自然のミイラは全身が完全なミイラとなっている例は少なく、身体の一部分のみがミイラ化して残っている場合が多い水分が蒸発して細菌が活動出来なくなる前に腐敗菌による有機物の分解が進むため、特に内臓や脳の腐敗が顕著である。
自然環境において全身ミイラが少ない理由の一つとしては、死体の中で一番先に腐敗が進行するのが内臓であることが挙げられる。自然状態においては内臓が体外に出ることがないため、人体の完全なミイラ化は起きにくい。ただし逆に、内臓の腐敗までが進行(→液化して体外に流出)したあとに急速に乾燥した場合などには、うまい具合にミイラが形成される。そのため、人為的にミイラを作る場合には、を含めた内臓を摘出し、外部で火気などを用いて乾燥させ、あるいは薬品によって防腐処理をほどこした。その内臓は体内に戻すか、副葬品の壷の中などに納めるなどの手段が取られた。

◆ 語源
ミイラ(mirra)の語源は防腐処理に使われた樹脂ミルラ(没薬/もつやく、ラテン語myrrh)から、ペルシア語mumiaiからの両説ある。漢字表記の「木乃伊」は、オランダ語のmummieの音訳と言われている。ミイラには一種の漢方薬として不老不死の薬効があると信じられ、珍重された。そのため、ミイラを取ることをなりわいとする者が増えた。なお、ミイラを取るためには墳墓の中に入ったり、砂漠を越えたりする必要があることから危険がつきまとい、ミイラを探す人間が行き倒れることもあった。彼らの死体がどれほどの確率で自然乾燥によりミイラ化したかは不明であるものの、このことを指してミイラ取りがミイラになるという言葉が生まれた。これにより数多くの盗掘が行われ、近現代の考古学研究を阻害する要因となった。また、薬としてのミイラは日本にもかなり輸入されていた。

◆ 古代エジプトのミイラ
古代エジプトでは、心臓以外の内臓を摘出したあとの死体を70昼夜にわたって天然炭酸ナトリウムに浸し、それから取り出したあと、布で幾重にも巻いて完成させた。そのため、包帯がミイラの特徴であるかのような誤解が生まれた。内臓の摘出には開腹手術をおこなったが、脳の場合には頭蓋骨を開かず、鼻から鉤状の器具を挿入して取り出したらしい。現代人からすれば脳を崩してしまうことは意識の復活の条件を失わせることのように感じられるが、理性の宿る場所を脳と見做さなかった当時においては死後身体から離れた魂にこそ霊性が宿るとの観念に立てば、心理的抵抗は無かったと考えられる。古代エジプト文明においては、脳は鼻水を作る為だけの器官と考えられ、捨てられていた。むしろ心臓が理性の場と考えられたため、これは取り出さず死体に残された。ほかの4つの臓器は「カノプス壺」と呼ばれる壷に入れられ大切に保管された。
古代エジプトなどでは来世・復活信仰と密接に結びついていたミイラ作りだが、それはミイラ化処理をおこなっていたすべての文化において共通のものだったわけではない模様である。なお人間だけでなく犬、猫、ワニ、ヒヒ、トキなど(いずれも神の化身とされた)の動物もミイラにされていたがこれもエジプトにのみ見られるもののようだ。

◇ 解剖ショー
19世紀の考古学においては、エジプトから輸入されたミイラの解剖が、単に研究目的だけではなくヨーロッパの各地で興行としてミイラの解包・解剖ショーが行われた。もっとも現代において想像するようなショーアップされたものではなく、かなり淡々と研究目的と変わらない解剖をしながら、過程と出てきたものを観客に示して解説するものだったらしいが、データ測定などが行われなかったこともしばしばあり、このため貴重なミイラ資料が多数失われている。
なお、ミイラと考古学からは離れるが、J.トールワルドの著書『外科の夜明け』(ISBN 978-4092510098) によると、当時は外科的施術自体がショーだった。特に死刑囚の解剖は人気を博していた。

◆ アンデスのミイラ
死者をミイラとする風習は南米アンデス地方でも見られる。アンデスのミイラの特徴は膝を折り腹部に付けた姿勢(蹲踞)を取ることである。製法は以下の通り。死者の内臓と筋肉を取り除く。次に、何らかの火力で乾燥させる。最後に特定の姿勢に固定し、体全体を布で覆い、かごに収め、最後に副葬品と併せて再度布を巻くというものである。紀元前200年ごろまで続いたパラカス文化は、形成期においてすでにミイラの製作に習熟していた。インカ帝国が成立すると、特に高位の人物のミイラに対しては羽や装飾品、金属製の仮面を取り付けるようになる。作成したミイラはに安置したり、住居に置いて、あたかもミイラが生きているかのように話しかけ、食事を供し、亡くなった近親者への愛情と尊崇の念を示し続ける。

◆ 中国のミイラ

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古い文献(『大唐西域記』『西京雑記』『抱朴子』など)に入定ミイラの記述があり、『高僧伝』では晋の元康8年(298年)に訶羅竭という僧が死に火葬に付されたが半焼けになってしまい、座したままでも崩れなかったため石室に安置して礼拝したと記されている。『大唐西域記』では玄奘が西域の僧のミイラについて言及している。
現存するミイラとしては広東省韶州市南華寺にある代中期の禅僧慧能の肉身仏(即身仏)などがある。なお、中国では現在でも即身成仏としてミイラが作られている。ただし、生きたままミイラになるのではなく死後に遺言によってミイラとして作られるものであり全身に金箔を塗ることにより生前に近い形を保とうとしている。
これらより有名なミイラは「楼蘭の美女」として知られる古代のオアシス都市楼蘭のミイラであろう。シルクロードブームで一躍知られるようになった。西域は乾燥(砂漠)地帯であり、ミイラが出来上がるに好条件であり、従って中国におけるミイラは西域に多い。

◆ その他のミイラ
ニューギニアや西・中央アフリカ、アメリカ北西海岸、カナダ西海岸の部族は、死後の遺体を乾燥させ、または燻製にしてミイラにし、墓の上や家中に安置する風習を持っていた。ニューギニア、アフリカにおいては、現在も続けている部族がある。

◆ 日本のミイラ

◇ 奥州藤原氏のミイラ