当初ピアニストとして研鑽を積み、
ニーノ・ロータに招かれて、彼が校長を務めるバーリ音楽院に進んだ。そこで音楽院オーケストラの公演があり、予定されていた先輩の指揮者が病気になり急遽欠席した。そこでロータはムーティを校長室に呼びつけ、代役をやるように指示した。しかしムーティは不安で一度は辞去したものの、簡単な拍子の振り方だけ教わって強引に任されてしまう
[巨匠神話(ノーマン・レプレヒト著)]。結果としては素晴らしい出来になり、ムーティ本人も指揮に興味を持ち始める。これがきっかけでロータに恩を強く感じ、度々彼の曲を今でも取り上げている。
勉強に打ち込むも生活が苦しく、アルバイトに明け暮れつつ苦学した。このとき妻であるクリスティーナ(演出家)と出会う
[巨匠神話(ノーマン・レプレヒト著)]。その後グィード・カンテッリ指揮者コンクールで優勝を果たし、イタリア国内の主要楽団を指揮する。1969年にはフィレンツェ五月音楽祭歌劇場の音楽監督に抜擢され、長く関わっていく(現在も度々客演している)。