京都の元学区 wikipedia|無料辞書
京都の元学区(
きょうとのもとがっく)は、日本で最初に創設された64校の
番組小学校を起源とし、明治期から戦中まで小学校運営・行政機能の一部を担う地域単位であった
学区のことをいう。戦後、小学校の新設や統廃合が進み学区域も変わってきているため、元学区と呼ばれている。
現在、元学区は直接の行政機能を有していないが、自治連合会、体育振興会や
社会福祉協議会、
自主防災組織など地域行政・住民自治の単位として用いられている。
◆元学区の成立
元学区は、明治時代の番組制度から派生している京都の住民自治組織。
江戸時代に町組として存在していたものを、
明治維新後に
京都府が番組として上京・下京それぞれ33組に組み換えた。町組では、それぞれの
町がどの組に属しても良かったが、この組み換えにより地理的なまとまりを持つようになった。番組は、地域行政や
警察・
消防機能を持ち、
1868年(明治元年)に町会所に併設する形で小学校の設立が決定された。この番組から、
1869年(明治2年)に64の
番組小学校が設立された。各学区の名称は、1869年当時は上京(下京)○番組または上大組(下大組)○番組のように呼ばれたが、
1872年(明治5年)には上京(下京)○区と改められ、
1879年(明治12年)には上京(下京)○組に、さらに
1892年(明治25年)
学区制により上京(下京)第○学区となった。なおこれらの間に学区の統合や番号の付けかえなどが行われている。小学校名は当初番組の番号がそのまま付けられていたが、やがて固有の名を持つようになった。名称は、
論語にちなんだ「立誠」、
豊臣秀吉の「梅屋」など、
中国の
古典や地域の歴史に基づくものが多いのが特徴である。
1929年(昭和4年)には学区を「成逸学区」のように学校名で呼ぶようになった。
1889年(明治22年)には
市制により区(上京区・下京区)が地域行政を担うことになり、番組はその役目を終えるが、現実には区だけで事務を執り行うのは困難であり、
公同組合という形ですぐに再組織化された。
この形は
1941年(昭和16年)の
国民学校令により学区が廃止されるまで存続した。この時の学区の地域区分が現在の元学区の基になっている。
第二次世界大戦が終わると、いわゆる
ポツダム政令15号の公布により学区の基盤である
町内会自体が廃止されるが、次第に再組織化されていった。戦後、一部の小学校が新制
中学校に転用され、さらに人口の増減による小学校の新設や統廃合により、元学区と小学校区は一致しなくなった。
元学区は行政上の単位ではなく、行政とのつながりはないが、市政協力員などの形で、国勢調査や市民新聞配布、回覧板などといった行政からの伝達もこの順で行なわれることが多い。なお国勢調査
[[外部リンク] 京都市統計局のサイトからは、平成2年以降の国勢調査データがダウンロードできる。また、[外部リンク] 総務省統計局からはGISデータがダウンロードできる。]の統計区は元学区に基づいて設置されたが、人口増加にともなって分割された地域もあり、現在では必ずしも一致しない。
なお、現在において、地域行政・住民自治の単位として元学区というときに、戦後人口増加が著しく、小学校が新設された地域においては、新設された小学校区を新たな「元学区」の単位として扱う場合がある。ただし、この場合でも市中心部では戦後の小学校統廃合以前の学区が「元学区」の単位である。
毎年10月頃になると、区民体育祭や区民運動会などを町中で目にするが、ここでいう区とは元学区のことである。元学区民による
運動会は、元学区ごとに行われ、多くの元学区では
町内会対抗の形式を取っている。このことからも、学区における町内会の重要性が伺える。また、
時代祭を運営する
平安講社は各元学区にあり、現在でも
時代祭は各元学区が交代に維持・運営等を行っている。
◇年表
・慶応4年(1868年)8月:第一次町組改正。上京45番組、下京41番組となる。
・
明治元年(1868年:9月 京都府、小学校の建設を各町に奨励(小学校設立仕方の示達)
・明治2年(1869年)1月:第二次町組改正。上京33番組、下京33番組となる。
・明治2年(1869年)5月:京都府、小学校の諸規則を制定。上京第27番組で小学校開業式を挙行。年内に64校が設立される。(上京28・29番組、下京22・32番組はそれぞれ2番組で1校を設立。)
・明治5年(1872年)5月:番組を区とする市区改正が実施され、上京33区、下京32区となる。
・明治5年(1872年)10月:京都府、学制を管内に布告する。
・明治12年(1879年)3月:郡区町村編制法に基づき、上京区・下京区を置き、従来の区を組と改め、上京区33組、下京区32組とする。
・明治19年(1886年)4月:小学校令公布
・明治21年(1888年)6月:鹿ヶ谷・浄土寺・岡崎・聖護院・吉田・粟田口・南禅寺村を上京区に、今熊野・清閑寺村を下京区に編入。
・明治22年(1889年)4月:京都市制施行
・明治25年(1892年)7月:京都市、学区制度を確立する。上京区28学区、下京区32学区となる。
・明治30年(1897年)10月:京都市上下京区長、公同組合設置を各町に布達する。
・明治35年(1902年)2月:葛野郡大内村塩小路・西九条両地区を京都市に編入。
・大正7年(1918年)4月:朱雀野村など16町村を京都市に編入。
・昭和4年(1929年)4月:学区の名称を「上京(下京)第○○学区」から小学校名を冠する名称に改称。このとき、上京区35学区、下京区38学区であった。東山・中京・左京の3区を増設。
・昭和5年(1930年)10月:公同組合の連合会が成立。
・昭和6年(1931年)4月:伏見市など27市町村を京都市に編入し、右京・伏見の2区を新設。この時、編入区域に以下の学区が設置された。
・修学院学区、松ヶ崎学区、上賀茂学区、大宮学区、鷹峯学区、花園学区、太秦学区、西院学区、高雄学区、嵯峨学区、梅津学区、西京極学区、桂学区、松尾学区、川岡学区、吉祥院学区、上鳥羽学区、竹田学区、深草学区、桃山学区、向島学区、納所学区、横大路学区、下鳥羽学区、山階学区、勧修学区、醍醐学区
・昭和16年(1941年)4月:国民学校令施行。
◆元学区の位置づけ
京都における自治の単位は以下のような構成となっている。
:区 ― 元学区 ― (ブロック) ― 町内会 ― 隣組
ただし、この中でコミュニティ上最も重要なのは町内会である。学区やブロック、隣組(班、組)などは便宜上存在しているにすぎない。
右京区のある地区の例:
:右京区 ― 西院第一学区 ― 第六ブロック ― 東立倉町 ― 隣組(数軒単位)
なお、古い町名がそのまま残っている中京区や上京区などの市中心部と異なり、この地区では戦後すぐに行政町名の変更、整理が行なわれたため、「東立倉町」も現存しない。しかしながら、町内会の単位としての町名は現在でもこのように旧町名が使用されているケースも多い。また現在は、行政上の町によっては複数の元学区にまたがっている場合もある。
◆ 一覧
なお、この一覧に示されるものは、あくまで住民基本台帳上の区分に用いられるものであり、戦後人口が増加し小学校が新設された地域など、現在において自治連合会の単位など地域行政・住民自治の地域区分として用いられているものとは必ずしも一致するものではないことに注意されたい。
◇ 北区