宝亀3年(
772年)、突如母親である
皇后井上内親王が夫である天皇を呪ったという
大逆容疑で皇后を廃されて、
5月27日にはこれに連座する形で他戸親王が皇太子を廃される。更に翌宝亀4年
10月19日には井上内親王が
難波内親王(光仁天皇の同母姉)を呪い殺したという容疑を受けて、他戸親王は母とともに
庶人とされて、
大和国宇智郡(現在の
奈良県五條市)没官の邸に幽閉され、やがて宝亀6年(775年)4月27日、幽閉先で母とともに急死する。一連の事件は山部親王の立太子を支持していた藤原式家による他戸親王追い落としの陰謀であるとの見方が有力である。