・
1981年 - 日本を放浪の後に「次は海外へ放浪しようか」と考えていた頃、偶然にも芸能プロダクション「
アミューズ」の
大里洋吉会長に拾われ、
サザンオールスターズの『チャコの海岸物語』をアミューズの契約社員として有線等への営業回りの仕事をする事に。この時の縁がきっかけでサザンのコンサートの打ち上げ等にも参加する事もあり、バンドフロントマンの
桑田佳祐とも面識が出来る。その後桑田とも親しくなり、桑田に自らの芸名を考えて欲しいと依頼(桑田に依頼した理由は、
所ジョージの芸名の名付け親が、ミュージシャンの
宇崎竜童だったと言う話に起因していると、後に本人が語っている)。最初、桑田は“カメリア・ダイヤモンド”と言う名前を考えたが、嘉門が却下。その後、桑田が別の活動の時に使用していた“嘉門雄三”の苗字を譲り受ける。以降、“
嘉門 達夫”と名乗る様になった。その後、ヤンタンにも復帰する。