今から約400年前、
藤堂高虎が
徳川家康の命を受け
伊予国今張の浦に
今治城を築いた。
今治城は当時としてはめずらしい海辺りの平城で、足場の悪い湿地の中に石積みをして
城を造ることは当時としては大変困難な作業だったといわれている。石積の棟梁は治衛門という職人が命じられたと残っている。治衛門は伊予国西条藩の千拓工事で石積の下働きをした後、大阪城築城に参加したという。
1602年(
慶長7年)に
今治城築城の12人の棟梁の1人として召し出され、慶長9年に完成した。
しかし、築城にあたっての秘密漏洩を恐れて死刑が決まる。それを事前に知らされた治衛門は、
瀬戸内海の大島に逃げる。生き残った治衛門は、念仏山の中腹鐘突堂を建て隠れ死罪になった職人たちを弔った。今治市蔵敷町には死罪になった10人の首塚が残っている(もう一人の棟梁は源氏の血を引いていたため死刑を免れたらしい)。この治衛門が大島における石材業の元祖に当る人だといわれている。