天然記念物という用語は、
ドイツの
博物学者である
アレクサンダー・フォン・フンボルトが
1800年(
寛政12年)に著書の「新大陸の熱帯地方紀行」に
Naturdenkmalを用いたのが初めてだとされている
[品田穣 「天然記念物保護の歴史とその意義」『天然記念物事典』 文化庁文化財保護部監修、1972年、308頁。][加藤睦奥雄 「天然記念物を考える」 『日本の天然記念物』加藤睦奥雄ら監修、講談社、1995年、6頁、ISBN 4-06-180589-4。]。フンボルトは
南アメリカの
ベネズエラでザマン・デル・グアイル(Zamang der Guayre)と呼ばれる樹高18m、直径9m、枝張り59mの樹木に対して、「この天然記念物(Naturdenkmal)を傷つけるとこの地方では厳重に罰せられる」と記述している。またフランスの作家
フランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアンが、
1802年に著書の「ルネー(Rene)」の中でも天然記念物を用いている
。当時の天然記念物について、品田(1972)は「天然記念物という用語ができたものの、保護の必要性が認識されておらず、特に一般から注目されていなかった」としている。天然記念物の保護思想は当時の
自然保護運動の推進とともに発展し、
1898年に
プロイセン王国の衆議院においてはじめて天然記念物に相当する「自然の記念物」の保護が議会で取り上げられ、
1906年に「プロイセン天然記念物保護管理研究所」の設置及び「同研究所の活動原則」が定められ、公的に天然記念物という用語が使用された。その他
イギリスや
スイス、
アメリカ合衆国等の欧米諸国でも自然保護運動の発展とともに、天然記念物の概念が発生し、保護の対象とされてきた。
日本においては、
三好学(
東京帝國大学教授)が
Naturdenkmalを「天然記念物」という語を用いて紹介した
[当時は「紀念物」と「記念物」とで表記は統一されていなかった。]。三好学は
1906年に論文「名木の伐滅?びに其保存の必要」で日本国内の名木の伐採状況と欧米の天然記念物の保護思想を紹介し、その翌年に論文「天然記念物保存の必要竝びに其保存策に就いて」及び「自然物の保存及び保護」で天然記念物の保護・保存の必要性を説明している
[品田穣 「天然記念物保護の歴史とその意義」『天然記念物事典』、文化庁文化財保護部監修、312頁、1972年。]。三好は
1915年に出版した著書「天然記念物」で『その土地に古来から存在し、天然のままで残っているか、あるいはほとんど人為の影響をうけないでいるもの、すなわち、天然林・天然原野または固有の地質・岩石・動物など』と天然記念物の定義を示している
[。1911年に「史蹟及名勝天然紀念物保存に関する建議案」が貴族院に提出され、1919年に「史蹟名勝天然紀念物保存法」が制定され、日本の天然記念物の保護行政が始まった。なお1950年に同法は廃止され、文化財保護法に引き継がれた。]
指定対象は、
動物、
植物、
地質鉱物及び
天然保護区域であるが、生物種や単一の鉱物だけでなく、動物の場合は生息地、繁殖地、渡来地を、植物の場合は自生地を、鉱物の場合は特異な自然現象を生じている土地や地域を含めて指定することもできる。天然保護区域とは天然記念物を含んだ一定の範囲のことである。これらの中には、長い歴史を通じて文化的な活動により作り出された二次的な
自然も含まれる。また特に重要なものは
特別天然記念物に指定される。これらの指定基準は「国宝及び重要文化財指定基準並びに特別史跡名勝天然記念物及び史跡名勝天然記念物指定基準」(昭和26年文化財保護委員会告示第2号)に基づく。