かつては河口部が「歩渡り」といわれ
[『正保国絵図』]歩いて渡る事ができ、満潮時には渡舟を利用していた
[『両島絵図帳』]。河口の宮良橋は
順治15年(
1658年)に初めて架けられ、島の東西を結ぶために修理や架替えが繰り返された。また、宮良橋の上流に大浜橋があったという
[雍正5年(1727年) 『八重山島由来記』]。宮良湾は遠浅のため、
乾隆36年(
1771年)の
八重山地震による明和大津波では大きな被害を受けている。この際、
津波は宮良川とヘーギナー川を逆流し、名蔵湾まで流れ込んだといわれる。