イモ欽トリオのデビューシングル『ハイスクールララバイ』のジャケットで山口のプロフィールの生年月日は「不明」と記載された。これは当時、年齢不詳の謎の高校生というキャラクター設定であったためあえて公表していなかった。トレードマークだったメガネは『欽ドン!』の終了後も掛け続けていたが、現在は外している。
1984年時分は毎週土曜夜半(金曜深夜)に『
オールナイトニッポン』(
ニッポン放送)のパーソナリティを担当。
プロレス通で知られる山口だが、同番組内の2時過ぎから始まる「闘魂スペシャル」のコーナーではその前日の毎週金曜の『
ワールドプロレスリング』(
テレビ朝日系)の放送(当時は殆どが実況生放送)を見た山口と、深夜でも毎週必ず
アントニオ猪木が電話で(たまにスタジオに)出演し、共に熱く談議を交わしていた(猪木が都合つかない場合は
田中秀和リングアナウンサーが出演)ただ番組中に全日本プロレスを馬鹿にする言動もあり、プロレスファンというよりは新日本プロレスのファンと言ったほうが良いのかもしれない。