夫はいとこにあたる町田徳之助・幾久子夫婦の次男。浩の3人の妹の中で浩と一番関係が深かった。昭和15年(1940年)に
満州国に戻る浩に同行し、浩一家とともに満州国で暮らし、昭和18年(1943年)
学習院幼稚園に入学する浩の長女・
慧生を連れて日本に帰る。昭和32年(1957年)の
天城山心中では、慧生が失踪した翌日に夫とともに嵯峨家に駆け付け、浩の代わりに
天城山に行った。昭和36年(1961年)に浩が
北京の溥傑の許に帰った際には北京まで同行し、日本に戻る意志を示していた?生を連れて帰国している。昭和61年(1986年)病気で入院していた浩の依頼に応じて北京に行って浩をつきっきりで看病し、翌年溥傑とともに浩の最期を看取った。