1900年(明治33年)2月11日に、石川県加賀市塩屋において、父・甚七、母・すえの間の7男として生まれる。幼年時に家族と共に
北海道厚田村(現・
石狩市)に移住し、苦学の後に
教員となる。戸田は教員として熱心に
子供の
教育にたずさわる中で、現場教育に必要なものをまとめあげ、
文部大臣に建白書を提出する。20歳の時に上京し、東京市立の
尋常小学校の校長をしていた
伯父にあたる
牧口常三郎を訪ね、同校の代用教員として採用される。一時期は教職を退き、
生命保険の外交員や
露天の
下駄屋を営み、その傍ら、院外団に身を投じ、
犬養毅の側近であった
立憲政友会所属の
衆議院議員の
古島一雄の知己を得る(後に創価学会の前身である創価教育学会を結成する際に古島は顧問の1人となっており、
終戦直後に出獄した後、自らの事業の再開を相談している)。