905年には初の勅撰和歌集である『
古今和歌集』が編纂され、
和歌が漢詩と対等の位置を占めるようになった。
歌合せなどの公的な場での和歌が多く認められるようになる他、
屏風歌なども多く詠まれた。それに伴い、著名な歌人の歌を集めた私家集の存在が認められるようになる。成立時期や編者などは各家集ごとに状況が異なるため未詳であるが、
紀貫之の歌を集めた『
貫之集』、
伊勢の『
伊勢集』など後世の歌人・作品に影響を与えたと思われる作品も多い。
平安時代を通して、男性貴族が政治で使う文字は漢字であり、文章は漢文であり続けた。しかしその一方で「
かな」による表現が盛んに始まった。後宮の女房など女性たちが「かな」を使用したため、その女性たちと交流を持つ男性官人も「かな」を使うようになった。前述の和歌の隆盛も、「かな」の流行とは無縁ではなく、多くの女流歌人を生み出している。
紀貫之が女性の立場から仮名で書いた『
土佐日記』をはじめとして、仮名文の日記風の作品が認められるようになる。また
清少納言の手による、随想的章段を含む『
枕草子』などが書かれ、
随筆的文学が栄えていくことにもつながった。
現存しない散逸物語も含め、多くの
物語作品が作られたのもこの時期の特徴である。『源氏物語』で「物語の出で来はじめの祖なる竹取の翁」と表現される『
竹取物語』にはじまり、『
伊勢物語』・『
宇津保物語』・『
落窪物語』など現存する物語が多く書かれている。これらは平安初期においては男性の手によると思われるものも多いが、仮名による女性の作品が増えていくのも特徴である。先行する数多の漢文学、仮名文学双方を踏まえた
紫式部による『源氏物語』は、中古の文学の代表作とも言うべき長大な作品で、以降の日本の文学史全体に強い影響を与えている。