15世紀初め頃までは40巻揃っていたが、その後散逸し、
塙保己一の門人、
稲山行教が10巻分の写本を
三条西家で発見(異説として
柳原紀光の校訂本説もある)し、初めて刊行された。現存分は巻5・8・12・13(桓武)、14・17(平城)、20・21・22・24(嵯峨)の10巻で、淳和天皇の代はまったく欠けてしまっている。六国史等の抜粋版である『
日本紀略』と、六国史の項目分類である『
類聚国史』の引用から本文をある程度復元できる。各所の逸文を収集したものに『
日本逸史』『
日本後紀逸文』があり、これを踏まえて、下記の
集英社訳注日本史料や
講談社学術文庫が出版されている。
内容には藤原緒嗣の意見がもっとも反映されたと言われる。天皇・廷臣の死亡記事に短い伝記(薨伝)を付けたことは『続日本紀』にならい、後続の史書と同じである。しかし本書の薨伝は一方的・公式的な礼賛や非難に流れず、独特の批評や感想を交えた興味深い記述が多く、六国史の中では批判精神を堅持したものとして異色である。