出家して、
龍樹系の四論(『
中論』、『
十二門論』、『
大智度論』、『
百論』)や『
涅槃経』の仏性義を学んだ。ところが『大集経』(だいじっきょう)の注釈の最中に病に倒れ、不老長寿の術を
茅山の
陶弘景について学び「仙経」を得て帰る途中、
洛陽で
菩提流支(ぼだいるし)に出会い、仏教にこそ不死の教えあると諭され、『
観無量寿経』を授けられた。そこで、曇鸞は「仙経」を焼き捨てて、浄土教に入り研鑚に勤め、并州の大巌寺に住し、後に石壁の
玄中寺に入り、さらに汾州平遥山の遥山寺に移って没した。勅によって汾州西秦陵の文谷に葬られた。