曽根崎心中 wikipedia|無料辞書
◆ 物語背景
人形浄瑠璃『曽根崎心中』の初演は同年
5月7日(
6月20日)の
道頓堀にある竹本座での公演であったが、そのときの口上によるとそれより早く
歌舞伎の演目として公演されており、人々の話題に上った事件であったことがうかがわれる。
宝永元年(
1704年)に刊行された『心中大鑑』巻三「大坂の部」にも「曾根崎の曙」として同じ事件のことが小説の形で記されている。
この演目を皮切りとして、「心中もの」ブームが起こった。近松の代表作の1つである『
心中天網島』も
享保5年(
1720年)に発表されている。しかし心中ものに共感した人々の間で心中ブームが起こってしまい、江戸幕府は享保8年(
1723年)に上演を禁止すると共に心中した者の葬儀を禁止するなどの措置をとることとなった。
◆ 人形浄瑠璃史から見た『曽根崎心中』
人形浄瑠璃というのはそれまで
ヤマトタケル伝説や
義経物語など人々によく知られた伝説や伝承を描くものであったが、近松はここに同時代の心中事件という俗世の物語を持ち込みこれまでの歴史物にたいして
世話物といわれるジャンルを創り上げたといわれる。俗世の事件を脚色するというやり方は当時既に先例があったがこの作品を「最初の世話物」と位置づける本は『外題年鑑』などいくつかあり、それだけの評価を受けたということができる。
短い物語ではあるが、俗世間の事件を浄瑠璃で描くという試みや作品としての面白さが受け『曽根崎心中』は当時の人々に大絶賛で迎えられた。『今昔操年代記』にはその結果、竹本屋が借金を返済してしまったとのエピソードが伝えられている。
◆ 現代に復活した『曽根崎心中』
◇ 復活公演
江戸時代に初演を含め数回で禁止されたが、筋が単純であることもあって長く再演されないままだった。詞章は美しいため、
荻生徂徠が暗誦していたとも言われる(
大田南畝「一話一言」)。戦後の
昭和28年(
1953年)に歌舞伎狂言作者の
宇野信夫が脚色を加え、復活した。人形浄瑠璃では昭和30年(
1955年)1月に復活公演が行われた。
・
歌舞伎:昭和28年(1953年)、東京の
新橋演舞場での上演で再開。
中村鴈治郎 ・中村扇雀(現・
坂田藤十郎)による。原作にない九平次の悪が露見する場面を入れ扇雀のお初の美しさによりヒット、以後何度も宇野版で上演されるようになった。
・
人形浄瑠璃:昭和30年(1955年)1月、
四ツ橋の
文楽座での上演で復活(脚本脚色・作曲:
野沢松之助)。お初:吉田栄三、徳兵衛:
吉田玉男。原作をテンポなどにより原文からアレンジした。また江戸時代の初演時代には人形は2人で操作していたが、後に3人操作になっていたため足をつけるという演出がほどこされた。
◇ 他ジャンルでの展開
・
ROCK+文楽『曽根崎心中 PART2』(昭和55年(
1980年))
::昭和55年(1980年)、東京渋谷の
ジャンジャンにて初公演。のちに大阪、沖縄でも公演が行われた。
・
SUPER ROCK BUNRAKU 曽根崎心中(
平成14年(
2002年))
::作詞・構成:阿木燿子、作曲:宇崎竜童、演奏:新☆
竜童組
::プロデュース・作詞:阿木燿子、作曲・音楽監修:宇崎竜童、振付:
鍵田真由美・佐藤浩希
・
舞台『曽根崎心中〜久馬版〜』(平成18年(
2006年))
::脚本:久馬歩、演出:鈴木つかさ、出演:
ザ・プラン9、五十嵐サキ、伊賀研二
::お初:五十嵐サキ、徳兵衛:ヤナギブソン、九平次:鈴木つかさ、お玉:なだぎ武、近松門左衛門:浅越ゴエ
::設定・展開の改変、
時代考証の意図的な無視など、あくまで「原作を元にしたラブコメ作品」として志向されている。