慶応4年(
1868年)、
新選組の局長である
近藤勇が平尾宿脇本陣で20日間留置された後、板橋宿の入り口にあった平尾一里塚近くの板橋刑場(現在の北区滝野川)で斬首された。首塚はないが、板橋駅滝野川口(東口)に供養碑が立てられている。なお、供養碑では「近藤勇宜昌(こんどういさみよしまさ)」となっているが、正しくは「昌宜」である。右側面には戦死者四十名、左側面には病死者、切腹、変死、隊規違反で処刑された人六十四名の名前が刻まれている。塔の左には無縁仏があり、右隣には慶応4年に作られた近藤勇の墓が、そして塔の建立者・
永倉新八の墓もある。但し、塔については
松本良順が建てたとする説も存在する。また、
五稜郭で戦死した
土方歳三の墓碑がある。