季光は
大江広元の四男で
相模国毛利荘を父から相続したため、毛利氏を称するようになった。従って、毛利家・毛利氏としては季光が初代とするのが相当であるが、毛利家の慣習上、
天穂日命を初代とするため、季光は39代とされている。季光は
北条時頼の義父であったにもかかわらず
三浦泰村と結んで
北条氏に反旗を翻した(
宝治合戦)が、敗北して一族の大半が果ててしまい、越後にいた季光の四男経光の家系が残ったとされている。直接関係はなかったとはいえ、謀反人の一族が処罰されないことは少なく、毛利季光が処罰されなかったのは
鎌倉幕府中枢に居た一族の
長井氏の存在があると思われる。