かつては2つの島であり、島と島の間には南北に細長い海峡が走っていた。16世紀の初め頃、その北側のイーヌ・ブー(北の入り江)と呼ばれる場所に狩俣の豪族、「四島の主」が石橋を架け二つの島を行き来できるようにした。それより程なくして堆積した砂によって石橋は埋もれてしまい、二つの島はつながって池間島になり、イーヌ・ブーの南側のかつての海峡は南北に細長い入り江となった。1934年(昭和9年)に、干拓のために入り江の入口(現在の池間小学校・池間中学校のある場所)に防潮護岸が造成され、入り江は汽水の沼地となり、「ユニムイ」
湿原と呼ばれるようになった。さらに、1963年(昭和38年)から1982年(昭和57年)にかけての漁港工事によって外海との水路が完全に遮断され、「ユニムイ」湿原は淡水化した。
[[外部リンク] ぺん遊ぺん楽 - イーヌ、ブー][[外部リンク] 池間島 池間湿原]現在では池間湿原とも呼ばれるこの湿原には、
キシノウエトカゲなどの稀少な生物が棲息している他、
渡り鳥の飛来地としても重要である。
元(ムトゥ)と呼ばれる氏神をまつる場所が四箇所(真謝元・マイヌヤー元・上げ升元・前里元)があり、「ミャークヅツ」という祭りを毎年、旧暦の九月に三日間執り行う。元(ムトゥ)には、男性の祭祀集団が形成されており、祖父から父・父から子の順に祭祀集団が形成されてきた。なお、各ムトゥへの入会が認められてムトゥ・ヌ・ウヤになれるのは数え55歳からである。