沢田らは、関西に来たロック歌手・
内田裕也(神戸出身)に認められ、
渡辺プロダクションと契約。上京後、「ザ・タイガース」と改名する。
1967年2月5日にシングル「僕のマリー」でデビューを果たした。セカンド・シングル「シーサイドバウンド」と、続く「
モナリザの微笑」、「
君だけに愛を」で
脚光を浴びたザ・タイガースは、折りからのグループ・サウンズブームも相まって瞬く間にトップ・
アイドルとなる。とりわけ、端正な風貌の沢田は10代の少女を中心に熱狂的な人気を博し、一躍国民的アイドルになった。
ザ・タイガースの解散が決定した後、沢田は1971年
1月11日に新たなバンド・PYGを「渡りに舟(本人談)」として参加する。欧米で流行していたスーパーバンドを模した形で、
ザ・テンプターズから
萩原健一、大口広司の2人、
ザ・スパイダースから、
井上堯之と
大野克夫の2人、それにザ・タイガースから、岸部おさみと沢田の2人のメンバー6人によって結成された。このバンドはツインボーカルで、「動」の沢田と 「静」の萩原健一の本格的な
ロック・バンドを目指した。しかし、日本ではまだ反体制のジャンルとするロックを、当時芸能業界最大手の事務所だった渡辺プロダクション所属のアイドルが演奏することに対して非難する向きもあった。