元久元年(
1204年)比叡山の僧徒は専修念仏の停止を迫って蜂起したので、法然は「七箇条制誡」を草して門弟190名の署名を添え
延暦寺に送った。しかし
興福寺の奏状により念仏停止の断が下され、のち
建永2年(
承元元年・
1207年)法然は還俗され藤井元彦を名前として、
土佐国(実際には
讃岐国)に流罪となった。讃岐国でも布教足跡を残し、香川県高松市にも法然を偲ぶ法然寺(京都の法然寺とは別)がある。4年後の
建暦元年(
1211年)赦免になり帰京し、翌年1月25日に死去、享年80(満78歳没)。