翌日の8月25日、伊予
今治藩10万石から
藤堂高虎が22万石に加増された上で入る。高虎は
江戸城の普請などにも功を挙げて家康から絶大な信任を受け、外様でありながら早くから別格譜代の厚遇を受けることとなる。慶長19年(
1614年)からの
大坂の陣でも家康側に与して戦功を挙げ、伊勢津藩は最終的に32万3000石を領する大大名となった。そのため、高虎は「走狗」・「裏切り者」と評する意見もある。だが利を見て主家を変えることは
戦国の常であったから、高虎が非難される謂れはない。また、高虎とは全く関係のない200年以上後の
鳥羽・伏見の戦いにおける津藩の行動(高浜砲台事件)が重ね合わされているとの意見もある。それはともかくとして、高虎は功績を挙げていって順次加増を受け、最終的には32万3950石の
大名となった。なお、藩政は初代藩主・高虎の時代に行なわれた城郭普請や家臣団編成、農業制度改革、城下町建設などで確立する。