一方、改革派は、光暢が進めていた東本願寺の独立を阻止し、宗派の憲法である「真宗大谷派宗憲」の改定を進め、
1981年(昭和56年)
6月11日に新宗憲を公布・施行。これによって、これまで、宗祖
親鸞聖人以来の本願寺の法統を伝承する師主(指導者)という位置付けであった「法主」を廃し、権限を有しない宗派統合の象徴という位置付けの「
門首」を新たに設け、光暢をスライド就任させた(光暢本人は就任を拒否)。さらに、宗派と本山は不離一体のものであるという「宗本一体」の理念を掲げ、
1987年(昭和62年)
12月14日、それまで、宗教法人「真宗大谷派」と包括関係にあった宗教法人「本願寺」を閉鎖登記し、宗教法人「真宗大谷派」に吸収合併させた。(それ以降、京都の東本願寺の正式名称は「
真宗本廟」となった。)