「あのねのね」時代は台本を書き、芸でも原田をリードする立場だった。
あのねのね時代はラジオで下ネタを連発したりあのねのねの項目にあるとおり放送コードを超えた卑猥な歌を歌っいたが後述のように1990年代にアウトドアの旗手としてファミリー層から持ち上げられるようになってからは、
ものまね王座決定戦で
清水アキラが下ネタを連発した際に咎める場面を見せるなど芸風が様変わりしていた。(ただしアキラを一時期自らの事務所に所属させ、三度目の結婚の際にはアキラが司会をするなど両者の親交は深い。)。80年代になると担当していたラジオ番組でリスナーからの一枚のハガキから話が膨らみ、
鈴鹿8時間耐久ロードレース(8耐)に出場を宣言。当時、レースはおろかバイクの免許さえ持っていなかったが一念発起して二輪免許を取得。自身のサポートクラブ的団体である國武舞レーシングを主宰しバイク業界で精力的に活動を始める。
1984年には8耐の登竜門的レースである鈴鹿4時間耐久レースに出場、なんとか完走を果たす。翌
1985年も4耐に出場。その後、8耐出場に必要な国際A級ライセンスを取得し、
1990年、元世界GP
ライダーの
福田照男とペアを組み8耐に初参戦。予選で鎖骨を骨折するトラブルに見舞われながらも見事完走を果たした。そして、これをもってレース界からの引退を宣言する。90年代からはアウトドア志向の活動を多く行うようになった。自らチェンソーを握り、木を伐採し、ログハウスを建築する様子がテレビ等を通じて流され、以降、アウトドア派、DIY派のイメージが定着した。
私生活では歌手やレポーターをしていた
清水クーコと結婚、カカア天下&おしどり夫婦としてしられたが1982年に離婚(子なし)。清水・クーコとも離婚の理由を一切沈黙したが、当時芸能人は離婚を公表する際、虚実はともあれ離婚の理由・経緯を一通りマスコミに説明するのが普通だったので、元夫婦がとった行動は当時としては異例だった。クーコはしばらくあのねのね事務所に所属・芸能活動、そして国明とはよき友人関係を続けたが、自身の海外留学・清水の再婚(1984年に再婚し、
タレントの
清水明実ら3人の女児をもうけたが2003年に離婚)が決まったことなどを機に事実上引退。クーコは
1991年3月子宮頸癌により他界したが、葬儀の喪主を清水が務め、最後まで「良きパートナー」を貫いた。
2005年、ライフワークとしての「森と湖の楽園」をオープン。NPO活動として子どもキャンプなどを開催する傍ら、河口湖を拠点として、ツリーハウス作りや農業体験など、団塊世代を主にターゲットとした自然のチカラを人の暮らしに生かすビジネスを創出。