歴史的に、
徳川家康による
清須越しで城下町がまるごと
名古屋に移転するまで、尾張の首府として東海の巨鎮と称され、
織田信長の青年時代の根拠地清須(清洲)、
安土桃山時代に
福島正則が城主だった城下町という由緒がある。また江戸時代以後は、美濃街道の宿場町「清須宿」、同街道の市場「枇杷島市」が存在していた。枇杷島市においてはその財力を背景に江戸時代より町内会ごとに名古屋型山車が作られており、江戸時代末期の1802年(享和2年)より尾張西枇杷島まつりが行われている。当祭は、名古屋東照宮の祭礼の形態を引き継ぐ数少ない祭として知られている。