この言葉で表現されるように、親鸞は、
それまでの浄土教義とは異なり、信心は阿弥陀仏から人間に与えられるものであり、その信心を受容することで、浄土に往生でき、現在・現時点で仏となることが決定している(一念発起住正定聚、平生業成、即得往生住不退転)とした。そのため、(信心を得た後で)人間が称える「南無阿弥陀仏」という
称名念仏は、その功徳により浄土へ往生しようとするためのものではなく、既に浄土へ行くことが決まっていることへの感謝の称名であると言うのである。
:「かならず現生に十種の益を獲。なにものか十とする。一つには冥衆護持の益、二つには至徳具足の益、三つには転悪成善の益、四つには諸仏護念の益、五つには諸仏称讃の益、六つには心光常護の益、七つには心多歓喜の益、八つには知恩報徳の益、九つには常行大悲の益、十には正定聚に入る益なり。」
と論じてあり、それには、正定聚に入る益が含まれている。これらの十種の
利益(りやく)を得るのは、金剛の信心を獲得した者であり、そのためには真実行を行ずるだけで良く、それにより、阿弥陀仏から信心が廻向され、仏になることが定まると論じたのである。