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「白鳳」||葬儀-master.com [02/09update]

白鳳 wikipedia|無料辞書

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白鳳(はくほう)は寺社の縁起や地方の地誌や歴史書等に多数散見される私年号(逸年号とも。日本書紀に現れない元号をいう)の一つである。通説では白雉(650年654年)の別称、美称であるとされている(坂本太郎等の説)。
二中歴』等では661年683年
また、中世以降の寺社縁起等では672年685年の期間を指すものもある。
なお、『続日本紀』神亀元年冬十月条(724年)に「白鳳より以来、朱雀以前、年代玄遠にして、尋問明め難し。」といった記事がみられる。

◆ 改元

◆ 由来
の劉?『文心雕龍』「知音篇」の以下の部分にもとづき、「白雉」を「白鳳」と言い換えたのではないかとされる。
(原文)
:夫麟鳳與?雉懸絶、珠玉與礫石超殊……然魯臣以麟為?、楚人以雉為鳳、魏民以夜光為怪石、宋客以燕礫為寶珠。形器易?、謬乃若是。文情難鑒、誰曰易分。
(書き下し)
:夫れ麟鳳と?雉は懸絶し、珠玉と礫石は超殊す……然るに魯臣は麟を以て?と為し、楚人は雉を以て鳳と為し、魏民は夜光を以て怪石と為し、宋客は燕礫を以て宝珠と為す。形器 ?はれ易きも、謬ること乃ち是くの若し。文情 鑒(かんが)みること難し、誰れか分かち易しと曰はん。
(大意)
:麒麟や鳳凰と?(のろじか)や雉の間には大きな隔たりがあり、真珠や玉と砂利や石とでは余りに異なっている……ところが魯の臣下は麒麟を?とみなし、楚の人は雉を鳳凰と間違え、魏の民は夜光の玉を怪しい石と思い、宋の客は石ころを宝珠と思い込んだ。形あるもは外見の見分けがつきやすいのにもかかわらず、それでもこのような間違いが起こる。(ましてや)文学の精神など見定めることは難しい、これを判別しやすいなどと誰がいえるだろう。

◆ 白鳳期におきた事件
白鳳文化
661年 - 斉明天皇朝倉宮で没
663年 - 白村江の戦いで、新羅連合軍に大敗する。
664年 - 対馬壱岐筑紫防人を置く。筑紫に水城を築く。
665年 - 筑紫、長門に築城。
666年 - 百済人二千人を東国へ移す。
667年 - 近江遷都。倭国讃岐、対馬に築城。
668年 - 天智天皇(葛城皇子)即位。近江令発令
669年 - 藤原鎌足
671年 - 唐の副将郭務宗兵2000と倭国に来訪、捕虜兵1400を返還。「筑紫君薩夜麻」(ちくしのきみ・さちやま)から帰国。天智天皇、近江宮で没
672年 - 壬申の乱弘文天皇(大友皇子)自殺
673年 - 天武天皇(大海人皇子)即位。
678年 - 筑紫大地震

◆ 西暦との対照表
・ 『二中歴』『海東諸国記』等
・ 『麗気記私抄』等