寛弘8年(
1011年)
内親王宣下。
長和4年(
1015年)
藤原頼通との縁組が持ち上がったが不成立に終わった。当時父天皇は彼女を頼通と結婚させることによって
藤原道長との関係改善を図ったのだが、道長・頼通がこれに応じなかったため、結果的に両者の関係は決裂することになる。結局彼女は父の崩御後の
万寿3年(
1026年)、藤原教通の後妻になった。教通との間に子供はなかった。後年、継子の
藤原生子が
後朱雀天皇の女御として入内する際に母親代わりとして付き添った。長久2年(
1041年)12月19日には二品内親王に叙せられる(『
扶桑略記』)。永承3年(1048年)閏正月29日、46歳で薨去。