1958年、成城大学を卒業。父と同じくジャーナリズムに憧れ、朝日新聞、
日本経済新聞などを受験したが、失敗。父のコネで、
小田急バスの試験を受け入社した。小田急バスでは、
吉祥寺営業所を経て、観光課に配属される。観光課では企画を担当し、春夏秋の観光シーズン以外に顧客を掘り起こすため、武嗣郎の友人である
野田宇太郎の協力を得て、「文学散歩」「史跡散歩」などに力を入れた。その他に学生、老人、会社などの慰安旅行や
幼稚園の遠足や
学校の
修学旅行、更には
皇族の旅行を企画し、時には車掌も勤めた。
1965年に綏子夫人と結婚。羽田は父親の後継者となって、政界入りする気持ちは無かったが、
1963年に武嗣郎が
脳出血で倒れたため、後援会を中心に政界入りを打診され、
1968年10月に小田急バスを退職する。