:聖変化について、カトリック教会では
アリストテレス哲学による定義を用い、事物は実体と偶性(大きさ、色、かたち)からなり、実体それ自体は概念的なものであって偶性を伴ってはじめて存在するとする。従って、聖変化後のパンとぶどう酒は、偶性、即ちそれらの外観や科学的な組成は変わらずとも、実体は変化したと考える。そして実体は概念であるが故に不可視・不可触なものである。聖変化に対して他教派や非キリスト教徒からしばしば受ける、パンとぶどう酒は(聖変化後も)何ら変わることがないという批判の一部は、この実体と偶性という事物の捉え方に関する理解の欠如から来ているものである。他方、概念としての実体変化の有無に対する見解の相違、或いは批判は、カトリック神学と他教派の神学における聖餐論の違いであるといえよう。
:聖体血の扱い方に関する取り決めはある。管見の範囲で言えば、聖体血のかけらが落ちた場合には、手で拾わずに口で直接に聖体血を拾う。絨緞に聖体血をこぼした場合には、誤って踏んでしまわない為にこぼした箇所を切り抜いて焼いてしまう。