父である賀茂忠行と同じく
陰陽道の達人で、確証はないが陰陽頭を歴任。また
暦道を究めて、著書「暦林」を記す。「
今昔物語集」によれば、幼少時に父が祓いを依頼されたので付いていき、その祓いの最中に供物に無数の
鬼が集っているのを見て、父・忠行に告げたという。忠行は、我が子が修行を積まなくても見鬼(鬼を見る能力)の才を身に着けていることに驚きいり、以後陰陽道を指南したという。
陰陽頭・
天文博士・
暦博士・
主計頭・
穀倉院別当を歴任、造暦宣旨、
天延2年(
974年)には従四位上に叙せられた。彼は父よりも
官位が上になったことに申し訳なさを感じ、父・忠行の昇進を願い出たこともある。彼の残した「暦林」は現代においてもいわゆる
旧暦を読む際の重要な資料となっており、後の
暦法の発展は彼がいなければなかったことであるといえる。